2.逢魔時まで A
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 雨がしとしととグラウンドを濡らし始めたのは、午前と午後が分かたれるそんな時間帯だっ た。
 勢い良く降る雨とは違い、ゆっくりと降る雨は、騒音になることもなく乾いた世界を潤していく。そのうちに雨雲が移動し、だんだんときつい雨に変わって いっ た。
 遠くでは雷も落ちているようだ。
 窓の隙間から流れる空気は、既に冷えてきている。
 夏の終わり。温暖化もあってか、年を重ねるごとに暑くなっている時期ではあるが、割合寒がりな気がある咲哉はそっと窓を閉めた。



 1日の授業は終わり、教室に残る生徒はほんのわずかである。それもほとんどは、友人と雑談を交わしているだけの、見るだけで暇つぶしに残っているのだと 分るような連中ばかりだ。唐突に響く甲高い女子の笑い声にも、もう驚きはしなかった。
 咲哉はその日に授業で出されたテキストを目の前に広げつつも、何かやる気が出ずぼんやりとしていた。
「ねぇ聞いた? 今度は瀬芽高の女生徒がいなくなったって」
「例の神隠し?」
「そうそう。これで何人目かなぁ、もう結構な数になってると思うんだけど。警察もお手上げ状態だしね」
「えっ、ま、まじ? 瀬賀って、やだ、あたし家近所なんだけど!」
「それに今回は目撃者もいるんだって。信号待ちしてた大学生が見てたらしいよ。…穴にでも落ちたようなかんじだったから、慌てて寄って確かめてみたらしい んだけど、別にマンホールもなくて。ただ生徒用のカバンが落ちてたから、人は確かにいたはずだって」
「やだー、こわい!」
「物騒な世の中になったねぇ……」

(神楽のやつ、すぐって言ってたけどどれくらいで来るんだよ。雨だし、早く帰りてぇのに……)

 先ほどから聞こえてくる女子同士の会話を尻目に、咲哉は内心で毒づいた。それも既に何度と無く繰り返した行為――否、実際に外にわかるように何 かをしたわけではないから、行為と呼ぶのは少し違うかもしれない――で、心身ともに飽きが来始めていた。
 最後に確認してから、時計の長針はちょうど一回りしたくらいになっている。
 雨もいよいよ大降りになる。あまりあてにならないとレッテルをはられつつある日本の天気予報でも、これだけ大きな天気のくずれには外れは出さないらし い。
 とはいえ、全面的にあてにするのは少々捨て身行為ではあるだろう。とりあえず言うならば、たまには当たることもあるのだな、ということだった。
 1時間ほど休憩もせず延々と喋り続けていた女子たちだが、流石に話のネタが切れたらしい。誰ともなく手を振って帰っていくのが見えた。
 また視線を落とし、時刻を確かめようとした時だった。勢い良く前方のドアが開き、神楽が顔を覗かせた。

「悪い遅くなった! さく、いる?!」
「……かぐ」

 声のしたほうを見遣ると、ほっとしたような顔つきの神楽が立っていた。
 ドアに片手をつき、うんざりしたように「思ったより時間かかってさ」、と愚痴を言う。
 咲哉は荷物を片付けながら、窓の外を見た。ちょうど――一時的にだろうが、雨が小降りになっている。急げばあまり濡れないで済むかもしれない。

「まあでもよかった。…これでさくにまで置いてかれたらまじどうしようかって思ったぜ、ふぅ」
「置いてかれたら、濡れて帰ればいいだろ」
「うわ! そんな無情なことをおっしゃるの!」
「おっしゃるよ」
「………」
「さて、帰るか」
「待て待て待てっ、お前その反応は良くないだろう! 兄は悲しいぞ! いつからそんなに無情で非情で冷たい輩になってしまったんだ、お兄ちゃんは悲し」
「………」
「ああ! さく、なにご丁寧に教室の鍵閉めようとしてる! 兄はそこまで学校を愛しちゃいないぞ! あくまで外面、だからな!!」
「威張るなアホ」

 咲哉はそう言い捨てると、とっとと階段を降り校舎の外に出た。
 いっそ校門の扉も閉めていってやろうかと本気で考えながら歩き始めると、後ろから神楽が慌しく追い付いてきた。蹴った地面から、水飛沫が散る。
 隣に並んだのを横目で確認していると、その向こうで海がピカ、と光ったのが見えた。
 少し間を空けた後、次いでドォンと雷鳴が轟く。

「ったくもう、軽い冗談じゃないか。怒るなよさく〜」
「別に怒ってねぇよ」
「あ? 何?」
 ちょうど良いタイミングでドォン、と辺りに雷鳴が響いた。そのせいか声が聞こえなかったらしい。
 …気のせいか先ほどより、音が近い気がする。
 
「だから、怒ってねって」
「ああ。…にしても、なんか雷近いな。気のせい? それになんか、早ぇし」
「急いで帰ったほうがよさそうだな。しょうがない、今日は買出しは無し」
「やった!」
「次の買出しのとき今日の分も入るから、頑張って」
「ええ?!」

 喜んだ神楽の顔が見る間に間逆の色に変わる。
 それを見、堪えきれず笑うと、「最近どうにも、さくが優しく無い気がしてならない」と神楽が頬を膨らました。
 …ほとんど同時に、光と雷鳴が辺りを包み込んだ。 

「うわっ、また光った」
「近いな……やばくね? 急ごうぜ」
「うん…なぁさく」

 立ち止まり空を見上げた神楽の髪や肩に、降ってきた雨粒がじわりとしみを作る。
 どんよりと曇った陰気な空は見渡せるかぎりの空を覆い付くし、この雨が恐ろしいほど広範囲に降っていることが分る。
 しょうがなく咲哉も立ち止まると、神楽の頭に傘を差し出しながら聞いた。

「…何」
「雨が弱くなれば雷が強くなる方程式ってあったのか?」

 神楽の馬鹿馬鹿しい言葉に突っ込みをいれようとした直後。

 視界が真っ白になったかと思うと、無理矢理体がバラバラになるような激痛が走った。
 もはや痛みと判断するのも難しいような鋭く凍みる何かに、まるで、細胞が細胞として形を成すのを止めたような違和感が走る。
 指が指として、顔が顔として、――咲哉が、神楽がそれらとしていられないような電撃が身体中をかけめぐり、そう、分解しようとしているのだ。
 
 ――雷が落ちた。
 自分達の上に。

 それだけが理解とは別の場所でうっすらと認識された。

 全てが真っ白で、何もかも分らなくて、…薄れてしまう全てに流れるように、咲哉は意識を手放した。
 何故か目の前にいるはずの神楽の顔も見えなくて、叫んだような気がするのに、その声さえ自分で気付くことができなかった。











 …大降りになった雨は騒音を奏でながら、暗闇に堕ちた世界を塗りつぶしていく。
 静寂を愛した世界は瞼を閉じ、明けるまでのひとときを待ち侘びるのだろう。


 そんな風に過ぎて逝く時の中、逢魔時。






 二人の影は消失した。









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