5.初期微動 @
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どうやらそれは痛みだった。
的確に痛みだと認識できたわけではない。
ただ右腕に広がってゆく鈍痛と、視界の中に飛び散った血しぶきがそう思わせただけだ。
だからそれは苦痛であっても、悲鳴を上げるに事足りない。
たとえこの一瞬後にすべてが終わらせられたとしても、
たとえこの場で自身が死んでしまうことになろうとも、
そんなことは何の問題もないのだ。
唯一問題なのは、今まさにどこか遠くで殺されようとしているらしいあの人を、
守れなくなるかもしれないということだけが問題なのだ。
あの人は希望だ。
薄汚れた自分にも、居場所をくれた。光を見せてくれた。
きっとあの人は誰の光にもなってくれるだろう。
そして今、あの人が危険な目にあっている。
…まだ手は動く。足も、動くはずだ。
だからこれは苦痛じゃない。
こんなことは、苦痛にも価しない。
手足がもげても、喋れなくなっても、見えなくなっても、
あの人が笑っていてくれるなら自分は生きていけるのだから。
早く、行かなければ……
きっとまたあの優しい人は、泣いているから。
複数の人間の足音が聞こえる。
それはだんだんとあわただしく、そして同時に銃撃と物が壊れる音。
時折聞こえる悲鳴は一瞬で、だが音は止むことはない。
夜だとわかる月を見てさえも、この騒々しさはただ事ではない。
また、足音が近づく。コツ、コツと廊下が鳴る。
今度は一人だ。
「それで隠れてるつもりなのか?」
部屋のドアがキィ……と音を立てて開く音がした。
同時に、男の声も近づいてくる。
「出てくるつもりがないのなら、出てこなくてもかまわない。だが、必要な情報はしゃべってもらおう。貴様は知ってるはずだ、バルト。剣の鍵はどこにやっ
た? それだけ聞けば、ここから立ち去ろう」
男は淡々とそう言い放つと、誰もいない開いた窓へと目を向ける。
「あぁ、もうこんな時間か。不機嫌なのはわかるがな。黙られると不愉快だ。こちらも急を要している。もう時間はないのだ。全て、始まってしまったから
。…いや、始まったというならば、5年前すでに始まっていたか。フン」
かぶりをふり、左手に持っていた長剣を月に翳す。
「あくまで、責任をとらないというのか? さぁ……バルト。最後のチャンスだ。あの鍵をどこに隠した? 言え」
それは頼みなんかではなかった。一言の拒否も許さない命令。
やがて、窓の下にうずくまる男の姿が現れる。
そして、先ほどまでしゃべっていた男以外の声が響く。
いや、声というよりも正確には喉に引っかかるような音、だった。
「教会の神父に、渡した。私の友人の一人に…。だが彼は何も知らない。いや、きっと知らないと思う。だから、彼を殺さないでくれ。頼む。ウィザード」
「教会だと?」
――まずいことになった。あんなところにあるのでは、易々とは取りに行けない。
「…質問には答えた。もう、帰ってくれ。ウィザード。お願いだ」
「…………」
一瞬黙りこむ。
「いいだろう。…『鷹の爪』と言われ雄々しかった男が弱弱しいものだな」
振り返りドアへ向かおうとしながら、そう言った。
「責任は…もちろんある。だが、私はもう関わりたくはない。ここで静かに、余生を過ごしていたいんだ。だからもう来ないでくれ」
それは本当に、今にも消えそうなほどか細い声だった。
「ああ。こちらとて腑抜けた貴様など、最早見ていたくもない。心配せずとも二度と来ないさ。せいぜい生き延びるがいい」
男の返事には優しさの欠片など微塵も感じられなかったが、それでも窓際の男――バルトは安堵した様子だった。
段々と夜が明ける。
バルトはまぶしそうに朝日のほうを避け続けた。
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