8.目指すは広大な海へ A

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「教主様! 大変です!!」
 そう言って一人の兵士が教会に足を踏み入れたのは、ルアたちが旅立って少ししたくらいの時間だった。
 血相を変えて走ってくる兵士のあまりの慌しさに、礼拝をしていた人々も振り返る。やや騒然となった。
「こら! 教会で走るとは」
「すまないが急いでるんだ、教主様に早く!」
「…いったい何事です?」
 ちょうど居合わせたらしい教主が、兵士に話し掛けてくる。
 それに今気付いたという風に兵士が勢い良く振り返り、形ばかりの礼を取る。
「騒ぎ立ててしまい申し訳ありません、教主様。私は第二兵団に所属する者。急ぎご連絡しておきたいことがあり参りました」
「第二兵団の…? 何事ですか?」
「実は先日、蒼月の代わりに仕事を受け継いだ者よりの伝言がありまして……」
 蒼月、と聞き教主が一瞬反応する。
 引継ぎの通達をしたのはそう時間のたったことではない。
「…分りました。こちらでは何ですから私の部屋へ。皆さん、礼拝を続けてください」
 人々はそれを聞き、まだ少し気にはなるようだが礼拝を始めた。
 普段よりも幾許か急ぎ私室へ向かうと、兵士を招き入れる。
「それで、伝言とは? 何より何故本人ではなく代理を取る必要があったのです?」
「それは………」
 兵士が言い難そうに口元を抑える。
 ちら、とそれを視界の端におさえ――教主は唖然とした。
 兵士の手には赤黒い血液が、まだ時間の立ってない事が分るような血痕が、ついていたのだ。
「まさか――」
「くくっ」
 目の前の兵士が笑い声を立てる。教主はすぐに異変を感じ机の傍の杖を取ろうとしたが、如何せん、相手の方が早かった。剣の鞘で殴られ床に捻じ伏せられ る。
「っ」
 もがき動こうとしたが、びくともしない。妙だ。兵士にそう力をこめている様子はない。
 ――魔術か!
 思い当たった一つの仮定に驚愕する。
 教主はかなり無理な態勢ではあったが、きつい眼差しで相手をねめつけた。
 まずい、頭が揺れている。
「何者だ…!」
「魔術師だよ。探してたんだろ? 僕のことを? まったく、人の周りをちょろちょろと……面白くないからこっちから来てやったんだぜー。感謝しろよ?」
 魔術師はそれはそれは楽しそうに、こちらの顔を覗きこんで喋る。
「あんたもさっきの連中も馬鹿ばっかりだ。兵士の服を着ていれば、何の疑問も持たないんだから…教えてもいいよ。僕の名前は」
「そこまでだ」
 新たに男の声がした。と感じた時には、教主の上に乗っていた魔術師の重みは消え去っていた。
 何時の間にか部屋に入ってきた男が、思いっきり魔術師を蹴飛ばしたのだ。
 魔術師は思わぬ衝撃に息を詰まらせ、部屋の隅にめり込んでいる。
「あ、あなたは」
「お前に用は無い」
 いきなりの展開についていけない。かと思えば男は身もふたも無い。
 男は今しがた自ら蹴飛ばした魔術師の上着を引っ張ると、無理やり起こす。長身にあわせたかのような長髪がゆらりと揺れた。
「おい、起きろ。お前、昨夜屋敷に入ったコソドロの一人だな。お前が子供を殺したのか?」
「はっ、はぁ!? 屋敷だって、何言ってんだてめぇ。――ああ、女のガキなら殺したよ。あのガキ、僕を見て叫ぼうとするもんだから、頭に来て」
「もういい黙れ」
 言うが早いか、魔術師の首が消え失せる。男が腰に持っていた剣で斬ったのだ。
 教主には、男が剣を取るところさえ分らなかった。
 ごとん、と首が落ちる。とても直視できるものではなかった。
「…………」
「この男の着ている服の持ち主は」
「…え?」
 男が死体を見つめたまま教主に話し掛ける。
「――死んだ。ついさっきな。一緒にいたもう一人も」
「……。そう、ですか」
「殺ったのはこいつだ。おおかた、教会から物品をせしめるつもりだったんだろう。恐らく城からも」
 教主は無言で聞いている。
「遺体は墓場に置いてきた。弔う時間はなかったんでな。後で葬ってやれ」
「………ええ」
 そこへばたばたと足音が近づいてきた。
「教主様ッ!? 今の物音はなんですか?!」
 リーがことわりをいれるのもわすれて飛びこんでくる。
 死体を見たのか、ひっ、と引きつった音をたてた。
「きょ、教主様。これ、は…そっちの人も………。お、お怪我はありませんか?!」
「大丈夫です、リー。…子供の見るものではありません、少し下がってなさい」
「で、でも」
「大丈夫です」
 泣きそうな顔でかぶりを振るリーを、半ば強引に退室させる。
 教主は付近にあった白い布を死体にかけた。
 もう見てしまってはいるが、できるならこんなものは子供に見せたくない。
「あなたは、何者です?」
 不審者に変わりは無い。教主はいつもの温和な眼差しを冷たく尖らせる。
 男はそれを聞き、失笑した。
「?」
「何者…? 面白いことを聞くな。お前はそれに答えられるのか? ――まぁいいだろう、俺はウィザード。ここにある剣の鍵を取りにきた」
「剣の、鍵? そんなものは知りません」
「神父のヨーダという男が持っているはずだ。それに、知らなければ探す、それだけのことだ」
 教主がはっとしてウィザードを見る。
「ヨーダは、もういません」
「何?」
「ヨーダは2年前、事故で亡くなりました」
「ちっ、、ではその男の後見人は誰だ」
「分りません。彼は他国の出だったので…、ですが姪がいるという話は聞いたことがあります」
 ウィザードが剣を振り(恐らく血を払うためだろう)、腰に収め歩き出す。
「ま、待ちなさい!」
「………」
 部屋を出ようとしたウィザードは、呼ばれ不愉快そうに教主を見た。
「助けてくださって、ありがとうございました」
 教主が礼を口にする。
 ウィザードは意外だったのか、眉間に皺を刻み、ふん、と鼻を鳴らした。
「もう少し人を見るんだな。三流の馬鹿相手に死にそうになっているのでは、次は無い」
「…ええ」
 殊勝にも教主が肯くのを見ると、ウィザードは今度こそ教主の私室を後にした。
 教主は一人、死体のある部屋に残されて酷く嫌な気分になった。
「……何故、こんな」
 残ったのは一つの魔術師の亡骸だけ。答える者はいない。
 開いた窓から入ってくる風はいつもと変わらなく、気持ちのいいものだ。
 だが今だけは、その心地良さが教主を不安にさせていた。










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