１．依頼、騒動。そして逃走 �@
――――――――――――――――――――――――――――――――――――


　遠い遠い世界の果てに広がる砂漠。
　その中心とも言える場所に国がある。
　国の名前はレスト。
　砂漠から決死の思いで辿り着く旅人が多いことから、楽園と称えられていた。
　生きていくのに必要な水をオアシスからの供給だけに頼るのではなく、
　誰もが―――少なくともこの街に住む人間は見たことがないだろう、外の国との繋がりもある国だ。

　砂漠からの脱走。

　それは誰もが一度は夢見たことのある一歩だった。



　時刻はちょうど正午を回る。
　市街は旅人や商人で賑わい、教会の流す歌など聞こえないようだ。
　市街を一人歩きながら特にこれといったものも見つからないまま、
　ルア＝カミシェは肩すれすれまでのびた漆黒の髪をうざったげにかきあげ、そっと嘆息した。
　この地域では珍しい漆黒の髪、瞳を持つ彼は、まだ１５歳だった。
　少年といってもおかしくないような年齢だが、そうさせないのは偏に彼の持つ雰囲気からだ。
　服装はほぼ灰色で統一されており、唯一違うのは左耳にあけたシアンのピアスだけ。
　その上、幼さの残る顔立ちからは結びつかないような凍てついた眼差しで、見える感情はない。
　つまり、無表情なのだ。
　ルア＝カミシェはそんな子供だった。

　ルアは少々特別な地位にあたる兵士だった。
　国王直属の第一兵団所属、コード０１００蒼月。
　その名を、人々は畏怖の念をこめて呼んでいた。



　くだらないな、と思う。
　いつもと変わらない日常。同じ時刻。
　それを楽しそうに行き交う人々が埋める。
　それはいい。
　時々場違いな馬鹿が騒いでいるが、まぁそれもいい。
　しかし成長の止まった街。
　この街はずっと変わらない。いい意味でも、悪い意味でも。
　おそらく前者なのだろうが…

　ルアのこの街の印象は、監獄に近かった。
　人々の姿を見れば、そうでないことなど明白なのだが。
　だがルアにとって、変わらないものは不気味以外の何物でもなかった。
　やはり、くだらない、と思う。

　これを当然とよく言えるなと何度だって思ったけど……
　今更考えると何故と思わずにはいられない。

　それこそ、今更なんだけど。　

「ルア！」

　行く宛も無いまま目に付いた曲がり角を曲がろうとした時、後ろから声がかかった。
　ルアは振り返りざま、今やっと追いついたと言わんばかりの少年を一瞥した。
「朝から騒がしいよ、リー。今日は何？」　
「だぁもう、何じゃないよ。今日は教祖さまから来るように言われてるから、家で待っててって言っただろー？　なんでこんなところにいるのさ。端から端まで 走り回って、僕もうくたくた……」
　よっぽど必死に探しまわっていたのだろう。彼、リーは額の汗をぬぐいながらそう毒づいた。
「あ――そんなこといってたっけ。ごめん、忘れてた」
「いってたっけ、じゃないよ！　ほんと、迎えに来なかったらどうなってたことか………ほら、はやく、待たせてるんだから。急いで行かなきゃ。教祖様 が怒ったとこなんて見たことないけど、今回ばかりは１時間近く待たせてるし」
「じゃぁ、今日はその教祖様の怒った顔が見れるかもな」
　少し笑いながらそう言ってみると、リーはぎょっとしたような顔で叫んだ。
「冗談じゃないって！」
　リーは先ほどの汗とはまた別の意味で汗をかきだした。
　それを見、
「了解。じゃ、行こう」
　迎えにきた彼を逆に置いていく形で、足早にルアは歩き出した。




　教会は、国の中心街にある。時計台と隣り合わせにあり、おそらくこの街でもっとも高い建物だ。
　勿論、外からの人間が真っ先に訪れる場所としても存在している。つまりは交流場に近い。
　外観は、それなりの時が経ったせいか、ところどころ古びているような風にも見える。
　どこにでもありそうな歴史的建造物。それがこの教会だ。
　この教会を統括する教祖とやらは、決してどこにでもいそうな人物ではないが。
　ここは内国の側からするとたいしたものではなさそうだが、実質はなかなかに重大な意味を占める。
　なぜか。それは国の位置にある。
　砂漠のど真ん中にあるという非常識以外の何物でもないこの国には、水は貴重な物資である。それを基点に争いが起こることは日常茶飯事だった。そしてそれ を 抑制するため、管理する役目をつい先日からだが教会が負っている。
　本来ならば城のほうでしなければいけないことなのだろうが、先代の王が亡くなって以来、この国の情勢はすこぶる最低の兆しにあった。次期王となった王子 が、まったく人のなっていない人物であったからだ。
　しかしそれもしょうがなかった。王子は――まだ４歳になったばかりだったのだから。
　国どころではないのだ。自我さえも、まだ薄い。
　王子としての、王としての教育を受ける前にその立場を受け継いでしまったということは、深刻な問題だった。
　王が亡くなって、そして他に継承者にあたる人物がいないからと無理やり継がせたはいいが、現実はこんなところ。突然変わった城の情勢に戸惑う兵士たちは あ まり使 い物にならず、国の幹部たちも打開作をあれやこれやと考えてはいるらしいが、今のところ目立った動きは見うけられない。現在は教会が影ながら国を支えてい るような状況だ。
　現在まだ国で統制のとれている兵士は、兵団ごとにその仕事を分けられているのだが、ルアを含む第一兵団は国の守護を主本とする。
　しかし情報なくては動けない。
　つまりこういうことだ。
　混乱を隠すので精一杯の城のほうではなく、人の交流も多く比較的情報の集まりやすい教会で、とりあえず最低限の守護をさせようと。
　こう考えてみると、教会はなくてはならないような気がするが、ルアは決して教会は好きではなかった。
　罰当たりだ、と思うかもしれないが、ルアは神の存在を信じているわけでもないし、困ったときに手を貸してくれない神など崇める必要もないと考えていたの で、罰当たりとは思わなかった。
　ルアが教会を好きでない理由は教祖にある。
　２２とまだ年若いが人柄は良く、背は高く、聡明。顔立ちもなかなか。まぁそこはどうでもいいが。
　端から見て完璧すぎると思われる人間。教祖はそんな人間だ。
　ルアは様々な面で自分が未熟だということをいたいほど知っていた。
　教祖と比べると天と地ほどの差がある。どんな部分でも。
　だからだろうか。どこか教祖を見ると劣等感に苛まれ、不愉快になるのかもしれない。
　…だからといって、教祖という人物の人格を否定するほど、ルアは子供でもなかったが。
　同じだろうと思われるのは、そこに住む人間たちのことだ。
　神を崇めその存在を信じこむ連中。それが教会の人間である。
　………基本的には。



　教会についたルアは新兵と見られる青年に案内され、教祖の部屋の前で、そのドアを見つめていた。
　隣にはリーがいる。なかなかドアを開けようとしないルアを訝しんでいる様子だ。
　無言でドアを凝視していたルアは、気のすんだのか、定期的なリズムでドアを叩いた。
「コード０１００、蒼月。失礼します」
「どうぞ」
　返事とともにドアを開け部屋に入る。続いてリーが入ったのがわかった。
　興味なく部屋の中を見たルアは、奥の椅子に座る教祖を見つけた。
　教祖は机の上に積んである本を読んでいたようだった。
　すっと息を吸い込み、抑揚のない声で告げる。
「遅れて申し訳ありません、教主様。リーからお呼びだと聞いたのですが、何か御用でしょうか」
　教祖は特にそれに気を害した風もなく、穏やかに微笑んだ。
「いや、いいんだ。急に呼び出したのはこちらだからね。すまなかったね、ルア」
　それを見て、リーがほっとしたように肩の力を抜く。
「それにしてもお互い本名で通じるのだから、わざわざコードネームでなくても。それもやっぱり決まりかい？」
「俺は仕事については、基本的に本名は言わないことにしているので。直せ、といわれるのであれば、直しますが」
「はは、こだわりか。まぁ、いいけどね」
　教祖は言いながら、ちらりと時計を見た。時刻を見たようだ。
「それで……今日は少し君に仕事を頼みたいんだ」
　仕事。それを聞きルアの無表情とも言える顔が少し変わる。それは見分けられないほど小さい。
　ルアの―――第一兵団の仕事は実に様々だった。有体に言えば秩序罰を代行する。そしてその資格を教会―――もとい国から貰っている。近場に魔物が現れれ ば それを退治しにい き、街で血の飛ぶような争いがおきれば、その元凶を正し、制圧する。大概は前者で、後者は手の開いた他の者がとりこなしていたが。
　教会のすることではないのだが、国が脆い今は、ほかで安定を図るしかないのだ、と教祖は言う。
　まだ子供だといえるルアが、その任を受けたのは２年ほど前だった。
　それから度にこうして、兵団にではなく直々に命令が下る。直々、といっても国の意思であるから、そこは少し違うのかもしれない。ルアは団体行動より、単 独 行動のほうが気軽に動けると感じていたので、それ自体にも不満を思わなかった。
「わかりました。何処ですか？」
　即座に切り替えしたルアに教祖はしばし呆気に取られ――たのはつかの間、向き合っていた机に肘をつき、頬杖にした。呆れたといわんばかりの表情で、手も と の紙を一枚、手にとった。
「…ルア。話を簡潔にするのがいいが、せめてこちらの用件くらい素直に聞いてくれたっていいだろう？　了解はそれからでいい。仕事はうけてもらうにこ したことはないが、そんな率直に了解を得ると、かえってこちらも不安だよ」
「………すみません」
　心成し落ち込んだ声音に、教祖が苦笑する。
「謝らなくてもいいんだがね。では、仕事の説明をするがいいかい？」
「はい」
「あ、じゃぁ、僕は外に出てますね」
　リーはそう言うと、退室した。教会の人間であるリーには、ルアにはよくわからないが仕事があるのだろう。パタパタと足音が遠ざかる音がする。
　教祖はそれを見届けると、ルアに改めて向き直った。
「今回は少しいつもと違う。ある人物の捜索だ」
「ある人物？」
「国の財政に携わるお偉方の一人だ。彼を探して欲しい。さほど特徴のない人物だが、君なら写真を見ればわかるだろう？」
　そういって教祖は先ほど手に取った紙をルアに渡した。紙には大体３０〜４０頃だろう、男性の顔と、その情報が載っていた。
　国ひろしといえど、確かにルアなら探し出せるだろう。
「できます。ですが……」
　数秒、口篭もると、ルアは次を接いだ。
「人探しなら、俺の専門ではないはずです。何故俺に？」
　ルアにはこれが疑問だった。こういったことを得意とする人間は、探せばいくらでも出てくる。ここに自分を呼び出す理由はないはずだ。
「ああ、そう思うのも無理はないが…ただの人探しではないのだよ。この人物は、”外の国”からきたと思われる魔術師と手を組んで、何やら国にとって悪 い算段をしていたようなんだ。それがなんであるかはまだきちんと調べがついていないのだが―――放っておいてよいものだとも思えない。そしてつい先日、彼 が消えた。原因はなんだかわからないが、そのバックには間違いなく魔術師がいた」
「魔術師……」
「だから君にお願いしたいんだ。彼の捜索と、あわよくば原因と算段の調査を。もし魔術師を発見することができても、攻撃してくるようなことがあれば、城の 兵士や教会 の者では太刀打ちできないからね」
「…………」
　なるほど。目には目を、といったところだろうか。
　ルアには魔術の才がある。それも飛びっきり高位の魔術さえ使えるだろうほどの、強力な魔力もあった。ルア自身はそれを仕事に　使ったことはなかったが、 教祖 は知っていたようだった。
「ここから東のほうにいったところに、大きな酒場があるだろう？　そこで魔術師が一人目撃されたらしい。まずはそこからあたってくれ。この時刻ならまだ荒 れようも少ないだろう。まぁ、夜よりはだが」
「……はい」
　肯くと、ルアは踵を返した。ドアを閉じる寸前、教祖の声がした。
「…決して、無理をしないようにね」
　ルアはなんとなく、その声に悲哀が伴っているような気がした。









BACK　　　 　　/　　　　　NOVEL INDEX　　　　　/　　　　　NEXT